二段ベッドの上段は天井が近い。
 その近い天井を時々横目でちらりと見て、それから目の前の枕に投げ出した腕と袖を見て。…そんなことをしていたらいつの間にか眠ったらしくて、いつの間にか朝になっていた。それに気付いたのは、下段の仲間がシャッ・と窓のカーテンを開ける音がしたから、そして白い日差しが部屋に入ってきたのを見たから。
 でも起きようとはしなかった。まだ暫く、夢の中にいるふりをして、今日という日がしっかり来たのだとは意識せずにいたかった。どうしてだろう、故郷はずっとずっと恋しかったはずなのに。
 いや。そんな理由、分かりきっているのかな。
 ずっと布団にくるまってじっとしていると、下の物音がふいに途切れた。衣擦れ、何か固いもののぶつかる音、こすれる音。微かに聞こえたため息。すべて。
 そして、ぎし、と木の軋む音。
 その連続する独特な響きがこの上段ベッドまで登ってくる梯子のものだとすぐに悟り、目を丸くした。そしてぎゅっと布団の端を握り締める。
 やだ、いやだ、今日は起こさないで、なんで今日に限って、いつもは放っておくくせに。

 今日だけは、来ないでほしい

「ワンタン」

 聞き慣れた声が静かに呼ぶ。一瞬しっかり返事しかけて、慌てて口をつぐんだ。強く目を瞑る。
 はぁ、と、またため息が聞こえた。とても近い距離から、そう、梯子は確か枕元に続いていたから。普段自分はぽんぽんと跳んで駆け上がってしまう(そして降りる時は一息にぴょんと飛び降りてしまう)ので意識したことはないけど。
 きっと振り向けばすぐに、色の白い顔がこちらを覗いているのが見えるんだろう。
「ワーンータン。…起きてんだろ、来いよ」
 彼にしてはいつになく穏やかな(というか、なんだか、優しい)声音に、思わずぱちりと目を開けた。背を向けているはずなのにどうして起きていると分かるんだろう。
「…紅印といい。二人とも、勘良いネ」
「あ、やっぱタヌキだったな」
 眉をひそめて呟くとしっかり聞き取られて、
「でも残念。俺アニキほど勘よくねーよ。単に、お前寝てたら絶対くーくー寝息うっせェからってだけ。起きてりゃすぐ分かるんだよ」
 笑いを含んだ声で言われた。むっとして、振り返る。
 すると、自分を見る金の瞳が思った以上に複雑な色に沈んでいて、でも物凄く優しく微笑っていて、繰り出しかけた反論の言葉を王は呑み込んだ。
 そんな王の様子に気付いているのかいないのか、読めない顔のまま、影州は手を伸ばして少し小さな王の頭をぽんぽんと軽く叩く。
「…おら。あんまぐずぐずしてっと食堂閉まるし、お前間に合わなくなるぞ。俺、もう行くから」
「行く?…って、どこへ」
 唐突な言葉に正直当惑しながら訊ねると、影州は、ニャハハ、という彼特有の笑い方で軽く笑った。
「何言ってんのお前。俺様これでもちゃんと大学行くんだぜー?授業だよ授業、冬休み終わったらすぐセンターだし」
「……あァ」
 そういえば今日は平日だったか。夏や初秋はまだ夏大会の余韻を引きずっていた野球部の仲間も、最近やっと受験をちゃんと意識しだして、会うとしっかり教科書を持っていたりする。自分も他人事ではない、むしろ受験自体は日本より厳しいだろうと分かっているから、ちゃんと毎日真面目に勉強してきた、が。
 なんとなく、ここ数日、そんなことも忘れていたようだ。
「……もう授業行くのカ。早くなイ?」
「早くねーよ。八時だもん」
「え!?」
 慌てて壁掛け時計を見る。確かにその針が指すのは、いつも自分が起きるより一時間も遅い時刻で。
「なんで起こしてくれなかたヨ!!」
 きーっといつものように叫んで、慌てて体を起こしたが、影州の声のトーンは少しも変わらなかった。ただ一言、ぽつりと。
「だってお前、もう授業行かねーじゃん」
「……。」
 ああそうか自分はもうあの教室へは行かないんだ。
 今更、本当に今更、思った。
 「…ほら、遅れるっつってんだろ。早く着替えて飯食ってこいよ」
「……ウン」
「…そんなにしょげんなよ」
 また柔らかい苦笑を浮かべて、王の頭をくしゃくしゃ撫でる。
「帰れば家族も、元のダチとかも居んだろ?いいじゃねーか、お前にゃ向こうにも好きなもんがあるんだから」
「……そう、だけド…」
「俺らだってもう二度と会えないとかそんなワケじゃない。手紙とか電話とか、メールとか。何でだって言葉も声も伝えられるし、その気になりゃ飛行機ですぐ会いに行ける。行ってやるよ、俺らみんなで、お前が寂しいってんならすぐにでも」
 勿論お前がまた遊びに来るのも全然アリだけどな。そう言ってカラカラ笑って。
「…はい、辛気くせー話はこれまで!終わり!!俺様こういうの苦手ー」
 ぺち・と王の額を軽くはたく。そしてぴょんと梯子を跳んで降りて、もう準備してあったらしい鞄をさっと取り、すたすた部屋の出口へ向かった。王は追いかけることも出来ないしどうすればいいか分からなくて、ただその背中を見る。
 影州はドアの取っ手に手をかけたとき、一度だけ振り向いた。
 その顔は今日最初に見た時の表情と同じ、少し難しい笑顔。日本語で、なんというのだったか。


「――じゃあな。」


 …ああ。

 “せつない”、だった。気がする。




















 食堂へ行くといつもの仲間は当たり前だが居なくて(だってもうあと十分で普通授業が始まる時間だ)、昨日の晩あれだけ盛大な歓送会をしてもらったというのにやっぱり寂しくて泣きそうになった。
 給仕のおばさんが気を遣ってなんやかやと世話を焼いてくれたけど、胸のつかえは残っている。
 でも泣かない、昨日も少し泣いたし、自分はきっと強くなったはずだと信じているから。
















 「…ねぇ。やっぱり、朝ご飯ぐらい一緒にしてあげても良かったんじゃないの」
「やーだよ。そんなん100%シケた食卓になるに決まってんじゃねーか、朝って皆寝起きでテンション低いしさ」
「もう、そういう問題じゃないでしょ」
「そういう問題だよ」
「は?」
「ワイルドジョーカーズからの縁じゃないけど、この三年ずっと一緒だったんだぜ、あいつは。時々有り得ないくらいシケたけど、でも俺たぶんこの三年間のことは一生忘れない」
「……」
「その仲間がさ、馬鹿みてーに遠いとこ行っちまうんだもん。最後まで明るく、ぱーっと送ってやりてェじゃねーか」
「…あのワンタンだしね」
「そうそう。あいつには笑顔が一番ってこと」
「それはワンタンが笑顔ってこと?それとも、私達?」
「両方」
「…そうね。じゃあ、最後までちゃんとね」
「ああ。最後までな。」




















 世話になった教師に挨拶をして、駅まで送っていこうかという申し出を丁寧に断った。大きな荷物はすでに送ってあるから身は軽いし、時間も有る。最寄りの駅までそう遠くはないのだから、三年間親しんだ街を最後にゆっくり見て歩きたい。そう思ったからだ。
 朝、といっても通勤・通学ラッシュはとうに過ぎた、他の生徒は授業を受けている時間帯。
 そんな半端な頃に街を出歩くのはそういえば初めてだった。授業をサボったことはない。一応勉強目的の留学でやって来た王は授業はきちんと受けている。
 ほんの少し時間がズレただけで、街の表情は少し違う気がした。どこかしんとして、空気が停止しているように感じる。風は在るのに。音も微かだがあるのに、深い深い静寂が横たわっている。
 顔を上げれば、冬独特の灰色の空だった。白に近い柔らかい灰色、そのまま沈んで雪に変わってしまえばいいのにと思った。
「この辺ホントにあんまり雪降らないネー」
 二回冬を越したけど、そのたびちらちら降ることもあったけど、ちゃんと積もったことなんてほとんどなかったヨ。ぶつぶつ独り言を言う。合いの手が無いと分かっている言葉は少し空しかったが声を出さずにはいられなかった。性分だろうか。
「…もう一回ぐらい、みんなと、雪、見たかったナ」
 はぁ、と息を吐く。白く色を付けた靄がふわふわと空に広がって、消えた。
 「…ゆーきやこんこ…あーられやこんこ……」
 なんとなく思い出した歌を口ずさんでみる。いつか紅印に教えてもらって、影州はそんなの高校生は歌わないと言って笑った。けれどその素直なメロディと歌詞がワンタンは嫌いでなかった。小さな「つ」が発音しにくくて、うまく歌えたためしは無いが。
「ふーてーは…ふー、てーは……アレ?なんだっけ」
「ずーんずーんつーもる」
「あ、そうそウ、ずんず……、…え!?」
 あまりにさり気なく答えが割って入ってきたので一瞬すんなり納得しかけたが、すぐに目を丸くして、慌てて声のした方――隣を見た。そしてますます目を丸くし、口まであんぐりと開ける。
 へら、と笑った柔らかい表情、懐かしい顔。
「やっほ〜。やぁっと追いついたよワンタン〜」
「…け、剣……」
「俺今朝もびみょ〜に寝坊しちゃってさ。慌てて家出てきたんだけど、もうワンタン行っちゃったって聞いて、それで急いで来たんだ〜。よかったぁ、ワンタンがのんびり歩いててくれて」
「…剣菱!!」
「うわ!?」
 ぴょん・と跳ねて、ぎゅうっとその首に抱きつく。あまりに急激な動きだったので剣菱も声を上げてのけぞったが、その行為自体はむしろお馴染みのことだったからすぐに体勢を立て直し、笑った。
「…何、ワンタン。やっぱ人に飛びつく癖は直んないんだね〜。」
「剣菱ー!会いたかたヨ――!!」
 大きな声で言い、抱きつく腕の力を強める。苦しい苦しい・と剣菱が言い始めたとき、はたと気付いて素早く首から降りた。
「…なんで剣菱、家から出てるカ」
「へ?あ、いや〜…」
「ゼッタイアンセイ、でしょー!!」
「だって〜。別にもう歩いたりするのは全然平気だし最近はすっかり落ち着いてるのに、昨日の歓送会も行かせてもらえなかったしさぁ。最後のお見送りぐらいしたいじゃんか」
「いーヨ!昨日贈り物はちゃんともらたネ!!ナギちゃんが代わりに持って来てくれたの!剣菱はゆっくり休むヨロシ―いっぱい勉強して大学行くノ――!!」
「え〜……」
「また紅印に怒られるヨ!ナギちゃん泣くネ!!」
「う゛」
 紅印のお説教と妹の涙と、果たしてどちらに反応したのか分からないが、とりあえずずっと笑っていた剣菱も一瞬顔をしかめる。その呑気な仕草に、もう、とため息をついていると、
「…ワンタン、来てほしくなかった?俺」
 酷く静かに問われて、目を丸くした。少し黙って剣菱を見つめる。来てほしくない?
「……そんなの…」
 そんなわけ、ないじゃないか。
「…ものすごく、嬉しいに、決まてるヨ。」
 おずおず言うと、剣菱はにぱっとまた笑った。じゃあ良いじゃん・と王の背中をぽんぽん叩いて。
 そして結局、大きな影と小さな影は並んで歩き出す。















 「紅印たちは〜?一緒に来ないの?」
「紅印も影州も雀も土本も、みんな勉強ヨ」
「あ〜そっか〜。もうすぐ冬休みだしね〜追い込みだもんね〜。」
「ウン。進路、大学、とても大事。あっち優先当然のことネ」
「ん〜……」
「こんな時期に授業潰してまでついてくるなんて、馬鹿のすることヨ」
「…ん〜。ま、そうだよね〜」
 少し大人ぶって淡々と言い切った王に、やっぱりにこにこ笑う。そして、
「でも」
「え?」
「俺らの仲間には、そんな賢い奴ってあんまり居ないと思うな〜。」
 妙に含みのある声音で言う。王は、きょとんとして首をかしげた。
「なにソレ?」
「さ〜。俺も別に確証あって言ってるわけじゃないし、仮にホントだったらそのうち分かるし」
「なにヨ!気になるヨ!!」
「まぁまぁ。ほらワンタン、空きれ〜」
 へらへらと笑って指差された空を、つい見てしまう。すると、白く沈んでいるとばかり思っていた空は、いつの間にか一部雲を薄くして青色をのぞかせていた。
 とびきり上質の綿を敷き詰めたような白い空。その真ん中、消え入るように雲が裂けて、裂け目には当然だけれど柔らかな大気の色。天空の色。
 確かに、綺麗だった。
「…ふわぁー。これ、晴れ?くもり?どっちネ剣菱」
「さ〜。どっちでもいーんじゃないかな〜」
「ン、そうネ。どっちでもいーヨ」
 くふふと笑う。
「あの色、朕、見たことあるネ」
「そーお?」
「どこかの教会の、天井の絵の色とそっくりアル」
「へぇ?」
「世界史資料集で見たネー。天使と、女神さまと、あとなんかいろいろ。で、雲があって、お日さまあって、空あったヨ。その色ネ」
「ああ。天国かな〜?」
「多分」
「じゃああれが天国の色なんだ」
「んーん。天国がこんなだったらいいなァ、て、昔の人が思った色。だヨ」
「ああそっか。でもそれもびみょ〜にすごいね〜」
「え?」
「そんな昔にも、あの色を好きだなあって思う人たちがいたんだ」
「……そいえば、そうネ」
 剣菱の言葉は思いもかけないもので、素直に驚いた。もう一度空を見上げてみる。柔らかで優しくて、寒色なのになんだか甘い色。
 どれだけ昔の人が描いた絵だったろう、あれは。あの色を作った人もこんな空を見上げて、焦がれたのだろうか、何百年も前に。
「…ウン。すごい」
 強く頷く。そしてまた笑って、今度は空でなく剣菱を見上げた。
「でも剣菱もすごいネ。よくそんなこと思いつくヨ」
「ん〜そお?紅印なんかには夢見すぎって怒られるんだけどな〜」
 苦笑を漏らす剣菱に、そんなことない、と首を大きく横に振った。
「朕、きっと今日のこの空、一生忘れないネ」
「そりゃいいや」
 あははと笑い、王を見下ろす。その瞳はいつも柔らかくて優しくて、そう、あの空みたいに。
「じゃあ、日本の空、ずっと憶えててくれるんだ?ワンタン。」
 自分よりずっと高いところにあるその顔は陰になり、見下ろす瞳に宿る光が妙に強く見える。
 王はその光が好きだった。
「ウン。空も、みんなも、…野球やってる時の誰より強い剣菱も。忘れなイ、ヨ」
 まっすぐに見上げながら言うと、見つめた先の瞳が、ゆるゆると見開かれていく。
「…ありがと」
 最後の一言をつぶやいた時の剣菱の表情が、部屋で別れた影州のそれとあんまり似ているので、王は酷く驚いた。そして、この顔もきっとずっと忘れないんだろう、と、心のどこかで確信していた。



















 半端な時間帯、駅の人ごみはまばらだ。
「何番ホーム?」
「5番ネ」
「ついてくよ〜」
「ありがト」
 剣菱は入場券を買い、王は買ってあったものを出す。それぞれの切符の額は一ケタ違った。
「あと何分だっけ〜電車出るの」
「15分。のんびり歩きすぎたネ、一時間近く前に出たのに」
「あはは、い〜じゃん楽しかったし」
 のほほんと言う剣菱に苦笑しながら頷く。最後の散歩は確かに楽しかった。ホームを渡る階段に上り、奥へと続く廊下に出て、小さな窓から外を覗けば白と青の柔らかい空がまだある。
 5の数字を見つけ、階段を下り始めた。本当に最後のお別れ、一人残ってくれた剣菱とも、これで。この薄暗い階段の先で。
 無意識のうちに隣の剣菱のコートの袖口をきゅっと握った。剣菱は少し目を見張っただけで、何も言わずやんわり微笑む。
 こつん、こつん。言葉は無いまま一段一段下りて行く。なんとなく怖くて、足元ばかりを見る。
 見ていた足がついに階段ではなく平らな地面を踏んで、王は嘆息した。顔を上げる。

「遅かったわねぇ、ワンタン」

 あるはずのない顔を幾つも見て、目を丸くして固まった。













 「もう待ちくたびれちゃったわ、すっごい寒いし」
「アニキ、毛皮付きコート着てんじゃねェか」
「女は冷え性ー」
「…いやいやいや」
「桃食 薄着 平気?」
 普段と変わらない軽口の応酬にもぽかんとするばかりで反応できない。剣菱の方は予想済みとばかりににこにこしている。
「ぐほぉ」
 土本の大きな手から大きなマフラーをふわりと被せられ、やっと我に返った。
「…っみ、みんな!何してるカ!?ていうか…なんでここいるカー!?」
「なんでって…お見送りに決まってんじゃないの、ねぇ?」
 同意を求めるように首を捻った紅印に、雀たちが頷く。
「最後 歓送、我等 待機」
「勉強は!?授業…!!」
「ニャハハ、お前マジで俺とかが普通に勉強第一だと思ってたんか?馬鹿だね〜こんな大イベントあったら午前中くらいどうでもいーっつの。あ、朝のはな、なんつーかドッキリ?みたいな。あーしといた方がここでもっと驚かせられるし…それに、一応あの部屋で会うのは最後だったし。ニャハ、びっくりしたか?おいワンタン」
「……。」
 開いた口が塞がらない。そんな様子の王に、にこりと剣菱が笑って言う。
「ね?俺らの仲間、そんな賢くないって言ったでしょ?」
 その言葉に王はますます目を丸くしたのだが、それに繋がる散歩中の会話を知らない人々には思い切り睨まれた。
「…ちょっと剣ちゃん。どういう意味それ」
「遠まわしっつーかむしろダイレクトに俺らが馬鹿だっつったよな」
「え゛。ち、違うって…そーじゃなくてぇ」
「相違 何処」
「っていうかそもそも剣ちゃんなんで一人でここ居るの?まさか凪ちゃんに黙って出てきたんじゃないでしょーね」
「えーっと…」
 焦って弁解しようとする剣菱と三白眼で詰め寄る人々。それはいつもの風景で、あまりに日常すぎて。
 ぽつりと呟いた。
「…ほんとバカネ」
「へ?」
「まーワンタンまで」
「んだよお前ら二人揃って!こーしてわざわざ来てやっ…」
「馬鹿アル、大事な時なのニ」
 唇が震えて途切れそうになる言葉を無理矢理つなぐ。笑わなきゃ、泣かない、自分は強いんだから。
 思っても、思うほど、震える。
「ばか……っ」
「ワーンータン。」
 かがんで目の高さを合わせ、優しく優しく呟かれたその声音が朝聞いたそれととても似ていて、やっぱり彼らは兄弟なのだと少し思った。
「言ってることと、カオ、違うわよ?」
「…、ばか…って、思う、んだけ、ど……でもっ」
 ぼろぼろぼろぼろ、零れる滴は、手の甲でいくら拭っても溢れて流れた。
「――…嬉しーノっ……!」
 しゃくり上げながらやっと言う。ああもう、と言いながら、紅印がコートのポケットから白いレース付きのハンカチを取り出した。そうして、小さな手から零れ落ちた滴をちょんちょんと軽く拭いてやる。
「しょうがないわねぇ、この子は」
「朕、子供違ウー…」
「はいはい」
「ニャハハハ、アニキとワンタン、再会した迷子と親みてー」
「あ〜影州うまい〜。」
「言っとくけど、アンタもおんなじように小さい頃泣きじゃくって、アタシが世話したことあるわよ。影州」
「え゛」
「…身内相手 揶揄論争 不利」
 顔を引き攣らせた影州、深くため息をつきながらぽつりと呟く雀。まだ涙は止まらなかったが、あははと笑った。
「ほんとに馬鹿ネー、みんな。」
「あっ今のは本気だ!本気でバカにしたろテメー!!」
「みんなっていうか影州限定な気もするヨ」
「んだとコラ!!ワンタン!帰る前に一回シメてやろーか!?」
「よしなさい影州、大人げない」
「…ぐっ……!」
「紅印ソレなんか朕が子供みたいな言い方ー!訂正を要求するネ!!」
「ああもう、子供が二人…」
「あはははやっぱりこうでなくちゃ落ち着かないね〜。」
 のんびりと笑う剣菱、呆れる雀、おろおろと仲裁に入ろうとするが出来ないでいる土本と、ちょっとキレた紅印に追いかけられる影州。
 そして、そのまんなかで笑っている自分。
 もうすぐそれは思い出になる。
 けれどそれでもせめて、絶対に忘れない。そう思った。
 この光景が、こんな日々が、泣きそうになるほど大好きで、愛しいから。









 無機質なアナウンスが電車の到着を告げる。間もなく風を切る音がして、そして鉄の箱は目の前にやって来る。
 乗り込む間際、やっぱりまた少し泣いてしまったけれど、閉じた扉のガラス越しに見つめた仲間たちにはちゃんと笑顔を向けた。精いっぱいの、顔いっぱいの、笑顔。
「…またね」
 じゃあね、の後のたった三文字がこんなに大切。絶対に絶対に約束だよと、心の中で繰り返す。
 ねえ、この夏まで僕らが見ていた夢は、その終わりはひどく儚かったけれど、この望みは大丈夫だよね。願っても、いいよね。
 ぽろぽろとこぼれる雫でにじんだ視界の中、遠ざかっていく五つの影の向こう側は、今も昔も変わらない天国の色だった――…




















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